inactionのブログ

写真とか日記とか

書く自分、読む自分

ブログを書いてコメントがつくようになった時、酷く狼狽した記憶がある。(最近狼狽という言葉が気に入っている。)

読んでもらってコメントを貰って正直嬉しかったし、コメントも返したりしたけど、怖くもあった。

コメントが貰いたくてブログを書くようになってしまわないだろうか?という事が特に。
なるべく自由にブログを書きたいというのがまずあったので、コメントを書いてもらうのはありがたいのだけども、それに返事をしないといけないかな?とかどうしても考えてしまうので、どうしたものかと思っていた。

そんなこんなで何となく悩みつつ、ブログを書いたり書かなかったりしていたら、ある時書く自分と、読む自分と、コメントに答える自分が分離した様な感覚になってきた。
それが何でなのか説明がうまくできないのがもどかしい。そここそハッキリさせたいところなのに。

書く自分は書く自分で独立していて、それはいわば「演者」であって、それを見る「観客」の自分がいて、「演者」に対してコメントしている人と、「観客」の自分が話をしているという様なイメージ。
これが「自分」として統合されていないと色々まずいのだろうけど、今のところは大丈夫そうではある。

それよりも、「社内」とか「業界内」とかの付き合い用の「演者」を作れよ自分。とか思うんですけど、何でか「素の自分」になってしまうんだよなぁ。
「素の自分」は割とだめなやーつなんで、クビにならない程度に頑張ろうと思います。
それももしかしたら演じているのかもしれないけど。